求帮忙翻译三个短的日语小文章, 250字程度就可以的 好了有50加分

1.用日语谈论日本的人口问题和都市问题,250字左右
2.日本历史上有3次大变革,分别是什么时候,什么时代,变革的内容是什么?也是250字左右
3.对日本的概况的感想,这个要300到400字吧。。

要求,尽量简单,用最简单的日语就行

第1个回答  2013-02-20
1.なぜ、日本はこれほど闭塞感にあふれているのだろう。もちろん、ひとつの大きな原因は経済的な不况にある。しかし、それ以上に强い闭塞感を感じざるを得ないもうひとつの要因が人口问题である。
高齢化はこれからは地方の问题ではなくなる。むしろ东京问题イコール高齢问题ともいえる。3000万人近い人々の多くが一斉に高齢化していく。また、出生率のもっとも低い10市区町村のうち6つを东京23区の区が占める。ワースト10はすべて大都市部の市区町村である。少子高齢化はまさに「都市问题」なのである。国立社会保障・人口问题研究所の推计によれば、2055年で日本の人口のもっとも多数を占めるのはなんと80歳代ということになってしまう。
しかもそのほとんどが、都市部・とりわけ东京に集中していることを考えると、ちょっとすごい。おそらく「首都圏」はこれより前に机能不全を起こしてしまうだろう。

自分自身はこれから年をとっていく日本人は、地方へと移住すべきであると考えている。アメリカなどでも、リタイアした人は基本的に地方に移住する。アリゾナ州フェニックスの近くにあるサンシティなどが有名だが、特に高齢の富裕层はニューヨークなどにはとどまらず、フロリダやラスベガスなどに移住するのが一般的である。大都市に住むことは「スピード」が要求される。高齢层はそれほどスピードに翻弄されない场所に住むほうがより合理的なのではないだろうか。

一方、东京には移民をどんどん受け入れ、「日本人」だけによらない世界都市の実现を目指すべきである。つまり、日本の地方部はとことん「日本的」であるべきであるし、东京はとことん「国际的」であるべきと思えるのだ。

东京は一応现在でもぎりぎりニューヨーク、ロンドン、パリなどとならぶ世界第一层の世界都市である。ただ、日本人の「纯血」によって筑かれてきたこの繁栄は人口构造を考えれば当然衰退すると考えられる。

リチャードフロリダは「开放的で外部の才能の获得に有効な能力を备えている都市」を「グローバルな才能の磁石」と呼び、これからの世界経済を牵引していくとしている。东京は多様性、寛容性において、世界の大都市と比较し圧倒的に劣っている。もちろん、そのために东京が世界の大都市の中で例外的とも言える治安の良さを夸ってきたわけだが。

しかし、东京が抱える人口问题という内部事情、世界的な経済の动向という外部の状况を考虑すると、移民を受け入れざるを得ないのが现実だろう。この问题に気づいている官僚や政治家は多いはずなのに、まったくその议论が公にはされていない。

いずれにせよ「外から人を入れない」という选択肢はありえないのだ。よりよく海外から人を迎えるために入念な准备をし、マイナスのファクターをどのようにして最低限のものにしていくかを真剣に议论しなければならないのに、皆がこの「くさい」问题には盖をしてしまう。経済问题は1年先を见通すことさえ难しい。だが、人口问题は20年、30年先がかなりの确実で予测できる问题である。待ったなしの议论が求められる。

2.近世の三大改革
1、はじめに
 ①、「善政悪政交代史観」「一张一弛史観」
   元禄时代(徳川纲吉)(悪政)
   享保の改革(徳川吉宗)(善政)
   田沼时代(田沼意次)(悪政)
   寛政の改革(松平定信)(善政)
   大御所时代(徳川家斉、水野忠成)(悪政)
   天保の改革(水野忠邦)(善政)
  ・このような歴史理解は通俗的なものだがいまだに力をもっている。
 ②、主张
  ・三大改革论ではなく二大改革论にたつ
  ・それぞれの改革が、そもそもどのような危机や矛盾に対応した改革なのかを明らかにする
2、善政悪政交代史観と三大改革
 ①、善政悪政交代史観の问题点
  ・田沼意次の人物像
   ア)、三上参次『白河楽翁公と徳川时代』
     ・松平定信を模范的な人物として焦点をあて、それとの対比で田沼を金権腐败、贿赂、汚职の政治家と描いている。
   イ)、辻善之助『田沼时代』
     ・贿赂、汚职の政治家という侧面とともに、积极的な経済政策をすすめた革新的な政治家という侧面を描いている。
   ウ)、评価
     ・戦前ではア)の见方が一般的であり、戦後になってイ)の见方も受け入れられるようになってきた。
     ・善政悪政交代史観では田沼の政治は悪政にあたってしまいその意味が理解できない。
 ②、三大改革论の歴史
   ア)、天保の改革での水野忠邦
     ・天保の改革の断行を宣言した演说のなかに、「これからおこなわれようとする政治は、享保と寛政の政治を模范とする」と述べている。
     →「三大改革」という言叶はまだなかったが、三大改革は「江戸幕府史観」といえる
   イ)、近世政治史研究者が「改革」とよんでいるもの
     ・庆安の幕政改革
       家光の晩年にあたる十七世纪半ばに行われた、小农経営の维持・安定をはかった政治
     ・天和贞享の治
       纲吉の始めの顷の政治
     ・正徳の治
       新井白石の政治
     ・享保の改革
     ・田沼の政治
     ・寛政の改革
     ・文政の改革
       関东全域に改革组合村の结成を指示し、风俗とりしまりと治安强化をはかった。
     ・天保の改革
     ・安政の改革
       日米和亲条约の缔结を契机とした、诸大名らへの対外政策の谘问、江戸湾の台场构筑、大船建造禁止令の撤廃、海军伝习所、蕃书调所、讲武所の设置などの一连の政策
     ・文久の改革
       公武合体运动の高まりに押されて、松平庆永を政治総裁职、徳川庆喜を将军後见职に任命し、京都守护职の设置、参勤交代の三年に一回への缓和などの政策 
 ③、三大改革论の研究史
  ア)、本庄栄治郎编『近世日本の三大改革』
   意义)
    ・戦前の研究の到达点
   内容)
    ・江戸幕府による庶政革新の试みとして三つの改革を三大改革と一括している。
    ・そして、封建経済とは异质な货币経済の発展と、商人资本の台头という経済的変化を基础として、三大改革による対応も効果なく江戸幕府は崩壊した。
  イ)、津田秀夫『封建社会解体过程研究序说』
   意义)
    ・幕藩制社会の危机を论じ、それへの対応策として幕政改革をとらえようとする研究へと発展させた。
    ・享保、寛政、天保の三つの改革を、幕藩制社会の危机に対応する三大改革として一括して理解する三大改革论が近世史研究の中に完全に定着した。
   批判)
    ・津田说については、辻达也氏、北岛正元氏、山口启二氏らの批判がある。
    ・现代の近世史研究では、18世纪後半の宝暦・天明期に近世史の画期をおいている(佐々木润之介氏の说)。
  ウ)、主张
   ・三大改革论ではなく、幕藩制国家と社会の解体过程の起点を宝暦・天明期におき、それへの政治的対応策が寛政と天保の改革である。
第2个回答  2013-01-19
lz太狠了吧,自己的事情要自己做才可以
不会的可以拿来请教,给个题目让大家给你代写好像有点难呢
第3个回答  2013-01-09
都有哪3次变革,哥一定帮。。
第4个回答  2013-01-09
翻译?代写?
第5个回答  2013-01-10
你把中文写上才叫翻译好吗